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[OMA「ホイットニー美術館」増築案 政治と芸術の境界線]
10+1(INAX出版)2004 No.35
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美術館の変容とexperience
美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時代とともにアースワーク、インスタレーション、メディアアートなどへと領域を拡大し、今では漫画やアニメまでが美術館での展覧会の対象となっている。こうなると美術館で展示されたものがアート=高尚であるという制度もかなり怪しい。たとえばOMAの設計したロッテルダムのクンストハルなどは企画展示のみの施設であり、そこに収蔵機能はない。これはアートというくくりの中での場所貸し施設であり、アートの解釈を広げることで実にさまざまな展示やパフォーマンスがおこなわれている。また、ヘルツォーグ&デ・ムーロンのシャウラガー美術館は、美術館を収蔵機能に特化した倉庫として取り扱い、研究者や鑑賞者は倉庫の中をさまよい歩くというコンセプトで作られている。いずれのケースも、美術館の格式や崇高さはどんどん格下げされ、建築的にはショッピングセンターや倉庫と大差なくなろうとしているのだ。拡大解釈されたアートは既存の美術館には収まりきれないし、建物のあり方もそこに向かう観衆も以前とは全く質の違うものになってきている。平たくいえばそれはアートの大衆化なのかもしれない。
時代の波に乗るコールハースは、まさにこの拡大された美術館の領域を新しいコンセプトで再定義しようとする。そこにexperienceという概念がもちこまれた。ホイットニー美術館増築計画=NEWHITNEYでOMAは、昔ながらの収蔵品の展示=exhibitionは既存の建物にお任せして、増築部分でこれまでのアート領域からはみ出た部分をexperienceとして担う提案をしている。experienceはさらに、移動空間までが芸術的にデザインされた非日常空間で、芸術鑑賞と食事と買い物といった様々な活動をシームレスに経験することを目指している。
計画の進行と「9.11」
建物の計画は、アメリカの斜線制限であるエンビロップの中にすべてのボリュームを納めることと、敷地の中にあった「ブラウンストーン」と呼ばれるランドマーク指定の建物を保存することを条件として進められた。常識的に考えれば、すでに敷地いっぱいに立っている既存建物を残したまま計画するのは無茶なことだ。しかし唯一問題のない狭いブラウンストーンの中庭を使うという、常識破りの条件設定を敢えて選択することで、プロジェクトは景観派に対する政治力と形態上の説得力を獲得した。
要求された巨大なボリュームをほんのわずかな中庭から支えるために、建物の形態と構造は必然的にアクロバティックなものとなる。まるで一本足で立つ巨大な生き物のような建物は、コンクリートの外壁を構造体としてまとい、ブロイヤーの建物の上に大きな頭を覆い被せている。既存建物の隙間から上にのびる複雑に折れ曲がったその姿は、ニューヨークの街中に新しい時代の建築が現れたことを強く印象づけることだろう。
コンピューター技術が可能とした構造解析にしたがって様々な形をした小窓が外壁にあけられ、内部空間から様々な方向にニューヨークの街への眺望をexperienceできることになった。各階の展示空間はエスカレーターによって結ばれることで、垂直方向の動線が確保され、立体的かつ都会的な芸術空間でのexperienceが得られることだろう。こうしたすべてのアイデアを含めてOMAの提案(計画A)は過激で魅力的で批評的だった。そしてこの案は美術館関係者にも総じて好評だった。
しかし、まさに計画が軌道に乗ろうとしたそのとき「9.11」というショッキングな事件がおきたのである。ニューヨークの気分は冷え込み、不安定な「タワー」に対する不安感は増大し、経済的な問題も持ち上がってきた。計画は完全に政治に巻き込まれた。
政治と経済と芸術と
ニューヨークの美術館には建物に対して発言権をもついくつものグループがある。ホイットニー美術館の場合も美術館自体、景観保存委員会(LPC)、後援者委員会(BOT)、近隣住区市民委員会といういくつもの関門を計画の実現までにくぐってゆく必要があった。またアメリカの美術館は独立した法人なので、資金の問題つまりは時の経済情勢が直接的にからんでしまう。ふつうに考えてもプロジェクトを成就させること自体が至難の業だ。
大まかにいってこうした委員会の力関係は、2つの勢力の間で揺れ動いているようだ。一方では芸術を深く理解し、美術館建築に高度の芸術性を求める美術館サイドの人々が、他方ではあまり前衛的な建築を好まない政治家や資産家たちがいるという構図だ。こうした微妙なバランスをかじ取りしながら進んできたプロジェクトは、ちょっとしたきっかけで大転機を迎える。「9.11」という事件はきっかけとしては十分すぎた。
OMAはすぐにこの逆風に対応するために計画を見直した。コストを下げるために「ブラウンストーン」を取り壊す修正案(計画B)は、巨大な可動床というコンセプトでまとめられたが、オリジナルに比してやはり凡庸に見えてしまった。いかに彼らでも、常にとんでもなくおもしろいプロジェクトを繰り出し続けるのは容易ではない。修正案は政治的困難に直面することが明らかな「ブラウンストーン」を壊してまで押し進める説得力に乏しかった。その後の資金難もあって結局は計画の中止が決定された。
ホイットニー美術館増築計画流産の歴史
ホイットニー美術館では、これまでも再三にわたって増築案が検討されてきた。70年代末にはフォスターによるタワー案があり、1985年頃にはマイケル・グレイブスの増築案が議論を呼んだ。このときグレイブスは、ポストモダンのデザイン手法に則って、いくつかのデザイン要素を寄せ集めるかたちで建物を再構成している。ブロイヤーの建物を基壇の一部として取り込むことで最終的な建物全体の統一感を保とうとする計画で、ポストモダン時代の流れにのった非常にインパクトのある案として受け取られていた。しかし建物全体の規模が景観的に大きすぎるという声や、ニューヨークにある近代建築の重要な遺産であるブロイヤーの存在感が埋没してしまうという声が強かった。グレイブスも再三にわたって修正案を提出したが、ブロイヤーの建物を軽視した印象が払拭されることはなく、アメリカ経済が停滞した時期と重なったこともあって、結局増築は見送られている。
美術館関係者からすると増築は長年の悲願だったはずだ。ブロイヤーやブラウンストーンに対する気の使い方は過去の反省もあったろう。一方でコールハースにとってもニューヨークでの仕事は特別の意味をもつ。彼の名を一躍有名にしたのが著作「錯乱のニューヨーク」であり、この街を研究することから建築家としての経歴をスタートさせたからだ。彼は、20年近くの時を経てニューヨークに自らの手による建物を作りたかったはずだ。しかし、不幸にも両者の夢は叶わなかったのである。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)増築計画コンペ
一方で、同じニューヨークの近代美術館(MoMA)もまた1997年に増築計画コンペを実施している。これは世界中の著名建築家を招待した話題性の高いもので、美術館建築のあり方を巡って様々な議論を巻き起こしたことは記憶に新しい。このコンペにはOMAも参加し、そのとき提案されたオデッセイという巨大な移動装置は、NEWHITNEYへの伏線となっている。
MoMAは、その名の通り近代美術が主な収蔵作品である。しかし近代=モダンが体制を批判する前衛だった時代からすでに半世紀以上が経過し、いまやモダニズムこそが体制の側に立ち、過去の歴史の一部として語られるようになった。そのことを考えると「未来の近代美術館をイメージする」というコンペのテーマは、当初から矛盾を孕んだものだったといえる。並み居る強豪を抑えて、最終的には正統派モダニストの谷口吉生案が最優秀となったのだが、選考委員会の示した結論は近代美術館のもつ保守性を改めて示すことになった。案の定この選択については前衛的芸術家や批評家たちから評判が悪かった。ニューヨークの街に世界で最も重要な現代建築を生み出すチャンスをふいにしたという意見だった。
しかし谷口案は景観委員会や後援者委員会に対する受けは悪くなかったようだ。コンペの結果とはいえ、敷地の中の古いホテルを取り壊し、ジョンソンやペリによる建物の一部を改修する計画が実現したのだから、歴史を大切にするニューヨークの人々の反応としては、かなり好意的だったことになる。
MoMAとNEWHITNEYの差
それにしても興味深いのは、フォスター、グレイブス、コールハースというそれぞれの時代を代表する前衛的な建築家を使ってきたホイットニー美術館がことごとく増築に失敗してきた一方で、ジョンソン、ペリ、谷口といったモダニストの建築家を起用したMoMAの方は着々と増築を進めてきたことである。もちろん様々な背景の違いはあるが、結果だけを見ると両者の戦略の違いは明らかだ。1920年代に「インターナショナル・スタイル」展を開き、建築界でのモダニズム発祥の地となったMoMAは、その伝統を守ることで政治的、経済的な地位を確立してきたのだ。しかし見方を変えれば、モダニズムの輝かしい歴史は体制の中でその意義を固定化しつつあり、こうした環境下では今後の発展は見込みにくいという解釈もできるだろう。NEWHITNEYが中止になる前に、美術館側はコールハースの関心がニューヨークよりも中国のプロジェクトに向けられるのではないかと心配した。実は嗅覚の鋭い彼のことだから、その憶測もあながち外れてないのかもしれない。
OMAの前衛性とオランダの合理主義
一般に社会は前衛に対して保守的に振る舞う。いやむしろだからこそ前衛はそのアイデンティティを維持できる。コールハースは自らのプロジェクトの前衛性を守り通すために、凡庸さや保守性を徹底して排除する。プロジェクトをまとめるときに必ず徹底した合理性に裏付けられたシナリオを作るのだが、そのシナリオがセンチメンタリティや常識に支えられた既成概念を超越する度合いが高いほど、プロジェクトはより魅力的になってくる。彼らは建築としての完成度や美しさという一般的なものさしをほとんど意識していない。建築を導き出す論理的なシナリオとその結果として得られた建築空間の強さにこそ、彼らの前衛性が発揮されることがわかっているからだ。
こうしたOMAの戦略は、オランダ文化を抜きには語れない。オランダは徹底した合理主義の国だ。彼らは「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」という。国土の3分の2が海抜下にあるこの国は文字どおり自分たちの生活する国土を自分たちの力で作り上げてきたが、その過程には自然に対するセンチメンタルな感傷など抱いてる余裕はない。日夜水との戦いに明け暮れた彼らの祖先は合理主義を徹底することでのみ、生き延びることができたのである。また一方で、オランダは海運国として貿易によって身を立ててきた。17世紀には世界中にその活動を広げ、江戸時代の鎖国政策をとっていた日本とも交易を続けた数少ない国である。商売のためなら彼らは巧みに異国語をあやつり、様々な価値観を柔軟に受け入れたからだ。また彼らは合理主義に裏付けられた自由を大切にする。大麻や売春でさえ、人類始まって以来の営みだからといって容認する寛容さは、取り締まりを厳しくすればかえって闇社会を増大させるだけだという合理的考えに基づいている。センチメンタリティを排除した徹底した合理主義。既成概念に捕われない自由な発想。世界中を仕事をもとめて飛び回る軽やかさ。こうしたコールハースの個性はまさにオランダ文化の延長線上にある。
しかしかつてこれほど著名かつ未完のプロジェクトが多い建築家がいただろうか。ラ・ウ゛ィレット公園、シーターミナル、ハーグ市庁舎、ZKM、パリ国立図書館、ジェシュー大学図書館、ユニバーサル・ビル...ざっと考えてみてもこれだけある。レム・コールハース+OMAは、その過剰ともいえるメディアへの露出度によって、実作とそうでないものの意味の差を感じさせない。「ホイットニー美術館増築案=NEWHITNEY」は、そんな彼らの系譜に新しい歴史を付け加えた。このプロジェクトは今後21世紀の美術館を語る上で、おそらく一つの指標となることだろう。
参考文献:
a+u 398, OMA/experience
The museum of Modern Art Expansion, Carter B. Hosley, the city review
21世美術館研究, 暮沢剛巳, 金沢21世紀美術館準備委員会
Architecture; Designing Museums:often not a lively art, Herbert Muschamp, New York Times, June 28, 1998
S,M,L,XL,OMA,010publishers
美術館の概念は無限に拡張可能でない?、クリス・デルコン、アール、2002年1月号