text

text

[ナポリ ― 鹿児島 都市景観ワークショップ ]

古典からの視座は現代に生かせるか

日伊合同セミナー「ナポリ-鹿児島 建築/景観」建築文化 98年12月号

outline



ナポリと鹿児島。都市景観という観点から、この2都市が似ていることくらい何となく知っていた。

それでも陣内秀信が基調講演で示した一連のスライドは、見るものにショックを与えるほど2都市の類似性を明示していた。有名な火山が近くにあり、背後の丘と長い海岸線とをもつ自然環境。1961年以来、両市が姉妹都市関係にあるのも至極当然と思われた。しかし実際に街を訪れた印象は、もちろんかなり異なっている。何が違うのか?

31名のワークショップ参加者はこの2都市の文化の違いを身をもって体験することになった。さて、2日間にわたる講師陣による一連のレクチャーのあと、イタリア人建築家を中心とする4つのグループに分かれて作業は進められた。与えられた課題は、グループごとに市内の特徴的な場所を選定し、そこに都市景観に寄与するプロジェクトを提案することだった。短期間に場所性を読みとる観察眼、またちょっとした操作で都市の見方を変えさせる頭の良さが求められたわけだ。

市内視察する講師たち


セルジョ・ステンティ+安山宣之グループは、川と水の流れをテーマにし、鹿児島市内を流れる甲突川に沿ったいくつかのエリアの条件に合わせて、プロジェクトを進めた。ピロティを持つ水害に強い川沿いの集合住宅計画や、以前の川のルートを親水公園として再生し、水害時にはバイパス水路とする案などは、歴史と機能の2重の意味を持つ説得力あるものだった。ステンティの「歴史を生かすことにこそ景観を作る手がかりがある」という主張や、「できるだけ何もするな」という指示は、鹿児島においても有効に働いたといえるだろう。

サルヴァトーレ・ビゾーニ+アンナ・ヴォナイウート+松井宏方グループは、現在の埋め立て地を巨大な空母のような人工島として再生する案を提出した。しかし、高集積コンテナタワーといったナポリでのビゾーニ自身のプロジェクトを、そのまま鹿児島の海岸に持ってきたのには驚いた。 自国ではかなりエスタブリッシュされているであろう建築家が、コンテクストをまるで無視し、ファシズム建築を想起させるようなプロジェクトを作るとはどういうことか、正直言って真意を測りかねた。 しかし一方でこの提案は、全く異質なものをコンテクストとは無関係に持ってくることの意味を考えさせた。コンテナに象徴される現代産業の構造は万国共通のものであり、それが既存の都市と対峙したときに何らかの新しい関係性が構築可能かという問題である。

ジョヴァンニ・ディ・ドメニコ+ヴァレリア・アヴォンドラ+松永安光グループは、シラス台地と平地との境界に存在する帯状の斜面に、都市の構造を再生しようとした。周辺環境の異なるいくつかの斜面で公共施設を含む回遊性を持った公園の計画を行ない、「ここで重要なのは地域の精神的なつながりと、個々の土地の持つアイデンティティの抽出である」とディ・ドメニコは解説した。

ラファエロ・チェッキ+松井淳グループは、海岸線に沿った景観的に特徴ある場所を取り上げ、数多くのスケッチによってプロジェクトを表現した。「景観とは変化し続けて終わりのないものだ。作ってゆくものに機能を決める必要はなく、これまでの状況に何かを付加することによって景観を強化することが重要である」と主張した。

ラファエロ・チェッキによるプレゼンテーション風景

 
こうして4つのプロジェクトを見ると、いつ変わるとも知れない機能などはあまり重要でなく、都市を形作る景観こそが大切なんだという考え方が示されていたように思う。彼らは、実際の街並みや地形、歴史を鋭い観察眼で読みとり、それを発展させることに心血を注いだ。これは近代的都市開発のテーゼであった機能主義とは異なる、景観主義ともいえる考え方だ。

もちろん、彼らはあまりに頭の中が古典的だからと無視することもできよう。しかし、この考え方は伊東豊雄がレクチャーの中で「変化する社会の中で、建築作品が一時代のためにつくられることに矛盾を感じる。建築にはプログラムのフレキシビリティが重要である。」と語ったことと妙に符合している。

つまり、長期的視野で建築や都市を考えたとき、 時代の変化に対応するには機能主義を越えた別の枠組みが必要だという意味において、これらの議論は根底で通じているからだ。現代建築の関心事は、また古典に帰ってきたということか。

最後の講評の中で、塚本由晴・貝島桃代は、「雑多に見える都市において、何と何が隣り合っているかに関心がある」と言い、「ゴマシオ」の例を挙げて、「ゴマと塩という異質なものが混ざることが問題なのではなくて、微妙な混ざり方が問題なのだ。」とうまくまとめていた。しかし、質の悪いゴマと塩が大量生産される日本の街で、果たして微妙な混ぜ方を調整する程度で問題が解決するのかという疑問は残る。

混沌の中に時として現れるおもしろい組み合わせを待つだけでは、なんとも無責任に思えるのだが、それが当たり前で、手の施しようがなさそうに思えるのもこの国の現状だろう。

景観をめぐる議論の中では、イタリア人から見ると日本はまるでアメリカの植民地のようだという話が出てきた。それは経済発展の名の下に歴史や文化をないがしろにしてきた日本の都市政策に対する、歴史の国イタリアからの痛烈な批判だった。

彼らは、景観に関心の払われない日本の現状の背後に、アメリカ的消費主義文化の存在を見たわけだが、機能ではなく、歴史と景観が大切なんだと言い切る、イタリアからのメッセージは、日本の都市景観に対して、まだ可能性は残ってるんだと元気付けているように聞こえた。

最終日の錦江湾クルーズでは、美しい夕日と桜島、それに野生のイルカに迎えられた。参加者にとっては辛く苦しく、意志疎通の問題でフラストレーションが溜まりっぱなしだった5日間も、いつの間にか美しい思い出へと浄化されてしまったようだ。このハッピーなラテン系の雰囲気はナポリと鹿児島の明らかな共通項である。

来年は日本からナポリに行ってワークショップを行う予定だそうだ。それにしても、イタリアの古典的文化と日本の「アメリカ化」された文化はいろんなところで衝突した。通訳の赤星文比古とアルベルト・リカンドロも、言葉よりむしろ文化の違いに苦慮していたが、次回もそうなるだろう。しかし文化交流なんて、それを乗り越えてはじめて成立するものなんだと思う。運営から言葉の問題、議論の内容まで非常に不確実要素の多いワークショップだったが、ただ一つ確実に言えることがある。鹿児島は、これからおもしろくなりそうだ!!

レクチャーの合間のコーヒーブレイク稲盛会館ホワイエにて


本学術振興会/CNR助成日伊合同セミナー 「ナポリ・鹿児島-建築・景観」 都市景観ワークショップは、 1998年10月5日-10日にわたって 鹿児島大学にて開催された。