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新建築月評1月号
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鈴木布美子さんの記事「アート、空間、観客-第4世代の美術館をめぐって」は、現代の美術館が置かれた状況をとてもわかりやすく的確に解説してくれる。この中で、安藤さんの地中美術館はサイトスペシフィックな第三世代の美術館であり、観客参加型でないことが指摘されている。確かにその通りで、芸術家と建築家が共同制作した美術館全体が一つの芸術作品なのだから、その中に観客に対する視点がないのも当然だといえる。先日知り合いの奥様が直島に出かけたという。直島の安藤建築とアートの情報は女性誌などにも取り上げられているようで、この島を訪れる観客は建築とアートを巡礼し、おいしい食事をとってベネッセハウスのホテルに宿泊する。こうした文化的でリッチな経験すべてがパッケージとしてデザインされているという点では、コールハースがホイットニー美術館で示したexperienceィを島全体で実現したともとれる。人々が美術館を訪れる理由。それはアートに触れ、アートな環境に身を置くことで、非日常的な体験をすることではないだろうか。そしてその体験が美術館から街や地域へと拡張していったとき、それは観光と呼ばれまちづくりにつながるようになる。安藤さんは17年間直島に関わってきたそうだ。こうした息の長い着実な活動は、明らかにこの島に特別な価値を与えている。政府は最近、日本を観光立国すると息巻いている。観光とは食事と温泉でリラックスするだけではない。日常生活では得られない、世の中にあるさまざまな事象を体験するという知的欲求を満たす行為でもある。こうしたすべてのものがセットになって、初めて観光産業はうまくいく。
金刀比羅宮プロジェクトは金比羅参りという観光の拠点に位置する。あたりは最近大ブレイクしている讃岐うどんの中心地でもある。「平成の大遷座祭」を執り行う建物は強力な観光資源であり、その一大イベントをアピールする手法にも現代的な工夫が凝らされているようだ。鈴木了二さんが地質学と形容する地下空間の様子は、圧倒的な存在感をもつ自然に対して、人工物の力がどこまで出せるのかという人類の原初的な営みを鈴木さん独自の感覚で表現した結果のように思える。「新しいものを捏造するのではない。ただあるものを顕す。」と彼は解説しているが、その言葉通りには受け取れなかった。この力強い空間は明らかに全く新しい金刀比羅宮のイメージを作りだしている。そのイメージが鈴木了二という優れた建築家によって捏造されたとしてよいのではないか。特に観光資源や地域のアイデンティティとして考えたとき、彼のいう「いまだ誰も目にしたことのない場所」を捏造するくらいの勢いがなければ成功しないだろう。捏造は一般に否定的意味を持つ言葉だが、これからの街の姿を形作ってゆく手法として否定すべきものではないと思う。過去との連続性がどれくらい正直に保たれているかというよりは、むしろそこにある創造性と強度、さらには直島のような継続性が重要なのだと思う。
街中にアート作品をちりばめて街全体を楽しむというカフェイン水戸の試みは、現代美術のオフ・ミュージアムの動きの一環でもあるが、それをこれからのまちづくりにつなげようというものだ。アーティストと建築家の連携作業はおもしろそうだし、空洞化した中心市街地を使いたおす考え方にも共感できた。ただ建築家の手によるリノベーションプロジェクトの成果は少々理知的すぎて、観光客へのアピール度からするとまだ弱いようにも見えた。現代の地方都市が抱える構造不況の問題はかなり深刻である。もっと露骨に観光を意識しながら納豆とセットで売り込んでいくくらいのことも必要なんだと思う。水戸芸術館という芸術分野の組織がまち作りの核になるなどということは、これまでには見られなかった新しい動きだ。学芸員の方の息の長い活動に期待したい。
ところで、個人の持ち物だから簡単に行けないとわかっていても行ってみたいのが高過庵である。伊東さんと藤森さんが顔を出している写真は、あまりにも漫画的で秀逸だ。近くの神長官守矢史料館もあることだし、あたりを藤森ランドにして観光地にしたらおもしろいのではと思ってしまった。茅野市のそばはうまいんですか?