text

text

新建築月評1月号

新建築社 No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

outline



21世紀は環境の世紀と言われている。環境指向の建築を理論だけでなく幅広く実践したという意味で、OMソーラー協会の取り組みはきちんと評価されるべきだろう。その実験棟としての「地球のたまご」で、こんなにさまざまな実験が繰り返されていたとは知らなかった。20世紀は室内環境を理想状態にコントロールしてゆくための設備を次々と付加してきた歴史だった。技術は進歩して、どのような建物でも快適な室内環境が得られるようになったが、それは設備機器のシステムを複雑かつ巨大なものとし、結果としてより多くのエネルギーを消費するようになってきた。それに対してOMのシステムは、非常にローテクな装置を現代的なハイテク・シミュレーションによってコントロールすることで、シンプルで環境負荷の小さい建物を実現している。 いま太陽電池生産で世界をリードする日本メーカーは、大幅な増産を続けているらしい。現在の年間生産量はすでに中型原発1機分くらいに相当するようだが、このままいけば、近い将来に太陽電池の価格が急激に低下して普及に拍車がかかる可能性もある。近年の技術の進歩にともなって、設備機器類は小型化するだけでなく、どんどん自立分散化してきている。もしエネルギーが自給できるようになれば、電線など不要になるだろうし、汚水処理が自立化すれば下水道もいらなくなる。そう遠くない将来にインフラストラクチャーのあり方はかなり変わっているかもしれない。

一方こうした個別化、分散化の動きとは逆に、最近次々と東京にできている高層ビル群は、えらく巨大でモニュメンタルだ。明治時代から脱亜入欧といって作られてきた丸の内のオフィス街は19世紀ヨーロッパを手本としていたが、巨大化した超高層ビルが林立する風景は、やはり20世紀アメリカのイメージが継続しているように見える。どうにもこのマッシブでマッチョな街並みが21世紀の日本だよというのには疑問があるが、明治安田生命ビルの解説にあるように、50年後あるいは100年後のこの街並みは、いずれにしても東京の都市景観として評価されているだろう。

東京でのもう一つの動きとして、華やかさを競うように建つブランドショップがある。青木淳さんによる一連のルイ・ヴィトンの作品は、とてもウイットに富んでいて魅力的だが、どこか彼のいつものスタイルとは違っていて、少し違和感を感じていた。建物の内外にほとんど関連性が無いという商店建築のもつ特徴ゆえに、得意とする動きのある空間構成が使えないからだ。彼はあまりこの問題に触れてこなかったが、「絶対装飾」についてという文章の中で、建物のファサードという包装紙をデザインすることについて、自らの悩みを昇華させてきた過程を見事に解説してくれた。絶対装飾であるファサードのデザインは、結果としてきわめて批評的なものになった。ファッションやブランドとは記号的意味をもつ表象こそが重要で、その包みの中に覆い隠された実態は存在しないことを建築のデザインを通じて示しているからだ。記号的意味を頼りにしていたショップのファサードを、現象的なものへシフトしたという意味において、またそのイメージ操作自体が批評になるという意味において、建築ではなかなか歯が立たなかったブランドイメージの強大さを乗り越えるプロジェクトになった。

さて日本建築家協会は、景観法の制定を機に「美しい街づくり」という行動指針を掲げてシンポジウムを開催し、そのなかで美しい街並みとは、美しい人と一緒で内面の実態がなければ美しく見えないという議論があった。なるほどそれは正論だし、美しい街並みにはそれを支える市民の努力が必要である。しかし待てよ。この論によるとブランドショップの表象的美しさの背後には内面の実体がないので、その街並みも美しくないことになってしまう。しかしそんなことはない。内面がどうだろうと、景観法で規制しなくても、それなりのお金をかけてそれなりのデザイナーが関われば、結果として美しい街並みはできている。それは丸の内でも同じだ。これは例えれば、いくら個々人が勝手にやっててもタレント揃いのブラジルサッカーが強いのと一緒である。所詮そこらの草サッカーとはレベルが違うのだ。ただし、いかにブラジルといえども優れた指導者なしにワールドカップは勝てない。やはり日本の顔となる街並みには、優れた指導者をもって世界の頂点を極めてほしいと思う。